私は貝になりたい

NEWS23「金曜解放区」 中居×後藤 08/11/28

★収録は全国行脚が終わった翌日(11/17) 徹子の部屋も同日 (サムガでの本人発言より)

私、後藤賢次ですけど、けんぼうって言われてたんですよ、から始まって
中「けんぼう、ですか。さすがに僕が今後藤さんにけんぼうって言うわけにいかないですけども(笑)」
後「言ってくださいよ(笑)」
おまけに娘さんがなおこっていう名前ですっかりダメージをうけた、と。
後「中居さんのお父さん、お母さんは当然戦後世代?」
中「いや、うちのお父さんもう73なので」
後「じゃあ戦争世代ですね」
中「そうですね。話聞くと、北海道なので」
後「73・・・10歳ですね」
中「10歳、で、全然覚えてる、で、上になんかアメリカの飛行機が来て、逃げろー!つって防空壕に。あれは怖かったなーっつうのが、ほんとついこないだお話、何回も同じような話を聞いてるんですけども。ホント怖かったって言ってましたね」
後「そういう強烈な印象が」
中「北海道は、全くそういう落とされるっていう情報はまったくなかったらしくて。ただずーっと上を何機も戦闘機が飛んで、そしたらやっぱり必ず防空壕に逃げてって。山のほうに逃げてくんですって」
後藤さんのお父さんは店をやっていたのに、赤紙で取られて、「あるじがとられて家が落ち込んでいった」と。
後「戦後も戦争の話はほとんどしなかったですし」
中「しなかったですか。したく・・・」
後「なかったと思います」なので、映画での清水理容店をお母さんがどう立て直していったのかという続編が見たいと。
中「たぶん、仲間由紀恵の美貌でしたら、大丈夫だと思いますね。何を心配してるのかなと僕は思ったんですけどね。絶対客はいるだろって(笑)」
フランキー堺さんのを見た記憶がある後藤さん。「全然違いまいたね」
中「そうですね、フランキーさんのやられてる貝になりたいを見ようか見まいか、監督に相談しましたら、それは見なくていい、と」
後「それと中居さんの鬼気迫演技、だいぶ体重も今に比べもっとほっそりされてましたね」
中「そうですね、今の体重から9キロ、10キロ近くですね」
後「減量したんですか」
中「はい」
後「どのようにして?」
中「やっぱ、周りの女の子とか女に聞かれるんですけども、あの、食べないと、やせます(笑)。3月末ぐらいにすごく大事なシーンがあったんですけども、監督がここがこの映画にとってポイントだっていうシーンがあって、その逆算して10日ぐらい前に、常に減量はしてたんですけど、監督自身が、もう食を断ってほしいと。10日間だけ、食べないでほしいと」
後「そうですか」
中「監督自身は、僕が(頬が)こけることを求めてるんじゃなく、なんかすごく精神的にメンタル的に追い込みたかったみたいです」
後「鶴瓶さんとのやりとりも素晴らしいものがありましたね」
中「鶴瓶さんとは、僕もこの映画を見て、自分が一番心に残ってるというか、自分が一番胸を熱くしたシーンが、鶴瓶さんとのさよならのシーン・・・だた、鶴瓶さんで熱くなるのってすごく悔しくて」
後「悔しい」
中「はい。もったいないじゃないですか。この人にぐっとくるのって(笑) ホント、鶴瓶さんはあんときの思い、出てる言葉っていうのはほとんどアドリブというか、台本に書かれてたことじゃなく」
後「そうですか」
中「ええ。リハーサルと本番が違ったり、本番2階やって前とまた違ったりとか、全部鶴瓶さんの政界に、鶴瓶ワールドに、飲み込まれたっていうか。すごいびっくりしました、あの時本番の鶴瓶さんって忘れられませんね」
後「中居正広っていう俳優から離れて、清水豊松という個人になりきったというのは、どれくらいかかったんですか。時間的には」
中「やっぱりお芝居ね、先ほども申し上げましたように、本当に得意じゃなくてですね」
後「そうですかぁ?」
中「あの、いや、本当に得意じゃないです。苦手意識すごく強いですし、本当に今回の撮影が終わったとき、本当に心から二度とやるまいって思いんですね」
後「そうかなぁ?」
中「僕は、毎回なんですけども。それぐらいやっぱり、それぐらい全身全霊で、やらさせてもらってる、ってことなんですけど」

<インサート>広島の平和公園、ラジオ収録中のスタジオ、バスの中、の映像
後「28か所ですか」
中「自分で言ったものの、こんだけしんどいと思わなかったですね、はい。びっくりしました」
後「どんなとこが印象的ですか」
中「やっぱり沖縄の対馬丸記念館に」
後「学童がいっぱい死んだ対馬丸」
中「ええ、そこにちょっと寄らさせてもらったんですけども」
<インサート>対馬丸記念館 真剣に展示物を見る中居さん
中「ああいうの見ると、ちょっとつらいですね」

<V>対馬丸記念館
中「すごい理解ができないというか・・・ああ、戦争というものを理解に苦しむというか・・・」

中「カメラとか取材の方々とかが来てくれたんですけど、どう思いますかって言われても、本当に言葉が出なくて、あの、かわいそうですとか、そういう次元じゃないんですよね。もちろん体験してないからわかんないんですけど、何ともいえなかったですね。
あの、広島にも行ったんですけども」
<インサート>平和公園・手前ジャイさん、向こうに中居さん、並んで手を合わせる画
中「なんとも言えないですね」
後「流れてる空気が違いますよね」
中「でも、その流れてる空気が、よどんでる感じじゃなく、澄んでる感じがしたんですよね」
後「見事な(表現)ですね」
中「何か、僕なんかに今の時代の、現代の僕らになんか、ん〜・・うらめしそうっていうようなことじゃなく、すごく、僕らはああいう時代の人たちによって生かされてるような、感じというのは、すごく受けましたね」
後「アメリカの憲法を起草したベンジャミンフランクリンって人が、『良い戦争と悪い平和があったためしがない』という言葉を残してるんですけども、この映画を見ながらまさにそういうことを感じましたね」
中「戦争ってひとつの、世界的な事件で片付けてはいけないような気がするんですね。そこには、これは日本人のひとりの物語であって、それが何万件、何十万件、何百万件ってあったんですね。ひとつひとつ物語があって、ひとりづつ人生があるわけですから、これを一緒ぶたにしてしまうのは良くない、片付けてはいけないんじゃないかなって思います。そして先ほども申し上げたように、今でもこの時間でも豊松と同じような不条理な思いをしてる方が世界のどっかにいらっしゃるということを、この映画を通じてですね、感じてほしいと思います」



 
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